おさかべライド① 姫路~大阪

令和8年6月3日から13日までの11日間
姫路から江戸(東京)まで、旧東海道をたどる11日間の自転車旅の記録です。
いつか、旧東海道を走ろう!
そう思い、「旧街道じてんしゃ旅・旧東海道偏」という本を買ったのは2年前だったか。
今回の旅の目的は、
1.千姫の乳母おさかべが、何度も行き来しただろう姫路~江戸まで、旧街道と旧東海道を実際に自転車で走ってみる。
2.伏見にある金の千姫神輿にまつわる自分なりの解釈を、人間霊としてまだ江戸にいらっしゃるお江様の魂にお尋ねする。(だめなら嫌な目に合うらしい)
3.歩くのも、駕籠に乗るのも大変な道。当時、女性が馬に乗れたかを確認する。
そして今年は梅雨は長引く予報とニュースが告げ、
夏と初秋は暑い。いつものごとく、ふはりと思い立った自転車旅。
だから、この本を参考に、バタバタとルートを引きましたが、待てよ。
この本の男性でも100km越えの日はなく、50km前後の日も多い。
うーん、約650km。
三月の九州は600kmを7日で行くことができましたが、
取材しながら行くと、9日はかかりそうでした。
余裕をもって10日目を、東京での勉強日として、母のショートステイを予約しました。

結局、帰ってきたのは11日目でしたけどね。
なんやかんやと手間取り、慌てて10時過ぎに出発。
しかし、しばらくしてタイヤがパンクしました。
なんということか、ここを曲がれば、自転車屋があるという交差点。
1月に台湾に行った時から、小さい穴が空いているの知っていたのですが、
自転車の意思を感じるタイミングで交換。
急いで再出発です。
姫路城下では、現在の西二階町商店街が江戸時代に事実上の西国街道として栄えました。
当初は一筋北の札の辻筋を通っていた街道が、中堀の改修を機にこの道筋へ付け替えられました。

結局、お昼前になり、チーカマドッグを食べて、姫路を出たのは、12時すぎとなりました。
旧街道を辿るので、東に行くにもいつもと違う道を走ります。
すると、今もある商店街が、旧街道沿いにあることに気が付きました。

どこかで補給しようと思っていたものの、この近くで動けなくなり、
平家ゆかりのこの場所で、補給してから龍笛を吹きました。
今回の旅にも、龍笛を持参しています。(しかし吹いたのはこの一回だけ)

平家の皆様に、行ってきますと挨拶してから、出発すると

次に着いた、こちらも源平の史跡でした。
寿永3年(1184年)2月7日、源氏軍は範頼が大手(生田口・生田の森)を、義経が搦手(一ノ谷)を攻める配置で総攻撃を開始しました。
実は山手(鵯越とよばれる)から攻撃をしたのは多田行綱で、義経は一之谷の方から、三方より攻められたのが、平家の大敗の要因だったという説があります。
一方、平宗盛は、停戦の約束があったのに源氏が攻撃してきたことに対して抗議したとも伝えられます。
一之谷の合戦の後の平重衡の様子を、
「湊川や苅藻(かるも)川をも越えて、蓮池を右側に見ながら進み、駒林(こまばやし)を左側にとって、板屋や須磨をも過ぎて、西の方へ向かって進んでいかれる。」(現代語訳)
と、平家物語に書かれています。
律令時代は、街道の利用頻度や重要度から、大路、中路、小路と分けられ、山陽道は唯一の大路だったそうです。
徳川家康は、参勤交代と非常事態時の道路として、五街道と脇街道を整備しました。
五街道は、東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道で、
脇街道は、仙台松前道、水戸街道、三国街道、北陸道、伊勢街道、山陽道、山陰道、などです。
江戸に幕府ができたので、山陽道は脇に追いやられた感じもありますが、
神戸の幹線道路は50m級の立派なものです。
平清盛ゆかりの地である神戸の柳原から、元町へ。
商店街はたいてい自転車は走れません。押すと長いので脇道へ。

結構、目に留まる西国街道の道標。

だんだんと日が暮れていく中、都会へと近づき、交通量が多いのがストレスとなりながら
ダイワロイネットホテル大阪堺筋ホテルに到着。
自転車の置き場所が気になりましたが、事務所内で預かっていただけることに。
そしてお風呂はトイレとは別の、ラグジュアリーな良いお部屋でした。

夜ご飯はいろいろ探して歩いて、ラーメン、麺屋久兵衛さんに。疲れた・・・

