龍神社(兵庫県赤穂市)
龍とは何かを探すライドです
兵庫県赤穂市福浦にある龍神社へ、令和二年七月にいったときのことです。
御祭神は綿津見神(ワダツミノカミ)です。
家を出たのが朝九時と遅かったのですが本格的に暑くなる前で、赤穂までならいけるかな~と思い出発。
近くまできましたが、どこが鳥居か分からず入電池まで行ってしまいました。
入電池には龍神社のことが詳しくかかれていましたが、祀られているのは大蛇だったそうです。
記事の下の方に文章を載せています。
戻って入り口を探していると、おばあさんがいたので道を教えていただきました。
集会所があるので、その前の細い道を山の方に上がって行きます。
もうお昼を過ぎていたのでお腹が空いていましたが、ちょっと荒れているところもある急な長い階段を頑張って上って行きました。
誰もいない寂れかけた神社をいくのはなんだか緊張します。
急いで階段登っていたのと、お腹が空いて、水分不足もあったせいで、階段を上りきったところでなんと突然右太ももが激しく攣りました。
前太ももが攣ったのは初めてで、痛くて全く動かせませんでした。
冷や汗をかきながら熱中症かと持っていた塩をなめて、なぜか鉄砲で撃たれたらこんな感じかなと思えて焦りました。
座り込んで足をさすっていると次第に動ける様になってホッとして、お参りをしました。
木鼻が蛇っぽいです。
こちらは龍です。今まで意識してお社の飾りを見ていませんでしたが、とてもカッコいい龍だな~と思いました。
帰りに田んぼの道で先ほどのおばあさんにお会いしました。
無事にたどり着いた御礼をいうと、龍神社のことを教えてくれました。
龍神社は弾除けさんとして有名で、戦時中は遠方からも母と息子とが一緒に祈願に訪れ、その列がぎっしりと階段に並び、麓までずらっと長く続いていたそうです。
千人針を承るところもいっぱいあって、みんな千人針をしてもらうためにもこちらの神社にきていたそうで、千人分も集めるのに大変苦労したそうです。
今はひっそりとした神社のあの階段がそんな風に賑わっていたのですね。
無事を祈り、息子を連れてこられた母の気持ちを思うと切なくなります。
一生懸命に話してくれたおばあさんのお気持ち、伝わりましたのでブログに書いておこうと思います。
それにしても、この入電池に書かれていた伝説が事細かで驚きました。(以下、入電池の看板より)
大蛇と入電池と龍神社 伝説
昔むかし、万濃池に住む雄の大蛇が、琵琶湖に住む雌の大蛇の所に毎日通っていました。
雄の大蛇は、海が荒れている日は空を、波が静かな日は海を渡って行き来していました。
村人は大蛇が福浦に立ち寄らないか心配していたある日、小豆島の方から黒い蛇が福浦めがけ、一直線に飛んできて大泊と五軒屋の間の入江に降りてきました。
その時は何事もなく村人は安堵しましたが、やがて、五軒屋に住む乙姫という娘が、 だんだん痩せ衰え病の床に伏しました。
占いによれば、大蛇の精に取り憑かれており、娘を救うには大蛇を退治しなければならないと言います。
そこで、福浦の宮崎に住む宮崎
刑部は大蛇の弱点を研究し、大蛇の現れる時刻、場所など細かく調べ上げ、弓矢を入念に準備しました。
そして二日後の月夜、岩陰に隠れて大蛇が現れるのを待っていると、鹿久居島の方向に黒い雲が見えたかと思うと、大きな大蛇が浜に向かってやってきました。
刑部は弓を絞り、右の目をめがけ矢を放つと見事命中。
続いて左目に二の矢を放ち、これも命中させると、大蛇はのたうちまわり、稲光がしたかと思うと雷を伴う黒い雲が立ち上がり、大きな音とともに浜に雷が落ちました。
次の日、村人が浜辺に近づいてみると、雷が落ちた所に大きな穴ができ、水が一杯たまっていました。村人たちはこれを「入電池」と呼び、大蛇を裏山に祀り「龍神社」としました。
福浦では、日照りが続くと松明を持って入電池を三度回ると必ず夕立がくると言われ、これを「入電の夕立」 と呼んでいます。
昔の話とはいえ、毎日の蛇の動向や飛んできた方角、射貫いた方の名前に射貫いた様子もその後も書いてあり、まるでレポートの様に詳細に書かれているなと思いました。
満濃池(万濃池)は香川県仲多度郡にあり、龍が小さな蛇に姿を変えているとトンビに化けた天狗にさらわれたお話など、龍伝説があります。
龍とは何でしょう。蛇の姿として見えていたのですね。
荒々しく自由に飛んでいたところ、人に退治されてしまったのですが、守ってくれる神様になって戦争中に御力を発揮されたというお話でした。
怖いけど優しいですね・・・