自転車とたましい① 赤穂忠臣蔵
自転車に乗りながらの幽体離脱ではありませんよ~
昨年RCCたつので1月に坂越で牡蠣焼きライド、4月に上郡の桜ライドを企画しました。
一月の坂越・・・みんなで高級料亭でも使われる坂越の牡蠣を焼いて食べるイベント。
たつのを出発して万葉岬へ。まるで神話の1ページの様でした。そして坂越へ。
坂越の展望台 後ろに生島が見えます 総勢30人ほどの大所帯でした。
Instagramにて”rcc_tatsuno”というアカウントに当日の写真を載せています。
ルートを引くときにどこか立ち寄るのにいいところはないかとGoogle map で探していると、
赤穂浪士の絵板だけの神社とか浅井長矩供養碑とか、忠臣蔵に関係する史跡が目に留まります。
家に帰ってから夫に、忠臣蔵ってよく知らないのだけど~と話をすると出してきてくれたのが映画「赤穂夢物語~令和龍国伝~」の台本を特別収録された本でした。
この映画は現代と元禄と時代を超えた二つのストーリーで、交差しながら義士の心を感じ取り、忠臣蔵の真実に迫った映画です。
そういえば以前に夫が赤穂に映画を観に行くといういので、なんで赤穂に?と何度も聞いたのを思い出しました。
忠臣蔵といえば、私は正直なところ広く浅くなんとなくな知識しかなくよく知りません。
でもなぜ、こんなに熱く語り継がれていたのだろうと不思議でした。
そこでこの本をパラっと読んでみますと、内蔵助が「此度の件は、素行先生の教えがすべて・・・」と天を仰いだと書いてあります。
「素行先生の教えのおかげで、本当に我らは全うな人生を歩めた」
主君の仇を討ったのではないと書いてあるのです。
山鹿素行先生の教えって?と読み進めました。
天の意志があって地が定まった。天の心と地の心。決して人間の意思で造られた世界に住んでいるわけではない。
我が国の原点は万物を大切にすること。
そして人は神代の時代から受け継がれた神々の子孫ゆえに大御宝(おおみだから)という。
大御宝?大御宝ってみんなが神様ってことかな・・・イベントに参加してくださる方、お一人お一人の顔や名前が目に浮かびました。
なるほど、そんな風に思ったことがなかったです。
山鹿素行先生の教えはちょっと読んだだけでも心にじわ~っときました。
こうしてイベントをするようになったことも、ご一緒する方々も、天によって決められていたことなのですね。
そう思うと三年前に行った姫路ライドがあって、あの時頑張ったことも意味があるように思え、
今こうして赤穂へ、最終的には素行先生の教えにたどり着くことが目的だったかもしれない。
自転車は移動するだけでなく、たましいまでも旅ができる、凄い乗り物です!
なんでもチャレンジすることはいい事につながりました。
赤穂の義士が本当に大切な教えを身をもって教えてくださったのだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
天命という言葉を意識するようになったのはこの頃からだったと思います。
そしてこの本の題にある「赤穂夢物語~令和龍国伝~」令和龍国伝とありますが、どういう意味だろうと思っていました。
それはひとりひとりに龍が宿っていて、その小さな龍が力を合わせると大きな龍となり大きな力になるということだそうです。
龍・・・ その存在を意識している方が作られた映画だったのですね。
不思議と4月の上郡のイベントでは桜並木を皆さんが走っている姿がうねうねと動いて、まるで龍のように見えました。
栗原の桜並木は本当に人が少なくて、美しい桜並木を独り占めでしたね~
ここかみごおりさくら園の近くには大きな池があり、浅野長矩供養碑があります。
初代浅野藩主が赤穂に赴いたとき、赤穂は塩分を含んだ水に悩まされていたので治水事業を行いました。このかみごおりさくら園の山野里大池も治水事業で造られたものです。
赤穂の誇りは山鹿素行先生、赤穂城の天守台、そして赤穂義士。
上郡の千種川周辺はとても綺麗で、山も近く、水の音が心地よく、小さな上高地みたいな風景です。
この赤穂でのライドは、私の考えを大きく変える出来事となりました。
大石内蔵助辞世の句
あら楽しや ねがいは叶う 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
たましいを清らかに、楽しく人生を終えることができた喜びにあふれています。
楽しくとは神の御心にかなう生き方だったということだと思いました。
忘れているようですが、令和4年のお正月は赤穂の大石神社に行きたいと初詣出に行って、山鹿素行像の前で家族で写真撮ってましたよ!
なんだ、もうご縁を感じてお参りに行ってたのですね。すっかり忘れていました。
そして昨年12月にこの「赤穂夢物語~令和龍国伝~」の改訂版の映画上映に行くことができました。
映画より
そもそもなぜ刃傷事件が起こったのか。
私はこの映画が真実なのではと思いました。こうでないと命をかけられない。
事前の講座でセリフの意味などレクチャーも受けてよく理解できたのですが忠臣蔵。感動でした。
皇室の安泰が国民の幸福にとって大切なこと、政治の目的は人の心を真心に整えることだと山鹿素行先生から学んでいた赤穂藩。
後西天皇の代で京都御所が炎上したのですが、赤穂藩が御所造営の助役を引き受けています。なんとその費用は赤穂藩の年間の予算の八割だったそうです。他に金銭的余裕のある藩はいくらでもあったのに仰せつかったのは赤穂だったのです。
何故、赤穂・・・
光栄なお役目だと赤穂藩は赤穂城に天守閣を作ることをやめました。民の暮らしをも守らなければと思案した結果、塩の販売に藩札仕法を用いることで金銀を得て成功させました。難題が起こっても神様が助けを出してくれるのだなと思いました。
しかし当時の人々は御所の炎上の他に地震や水害もあったことから天皇の不徳のせいだと責めていて、吉良父子が後西天皇を譲位させるように朝廷工作をしたのです。
そのことに大きな遺恨があったのですね。
そして天皇の勅使を席順後ろに座らせ、朝廷をないがしろにしている吉良に不満があった。切りつけたタイミングもこのことを露呈させようと考えて、カッとなってではなかったのです。複雑な心情です。
神を信じるか信じないか。天命を生きた赤穂義士。
それは勉強の機会があったか、なかったかの違いなのでしょうか。
国の根本、原点は太古からの全てのものに感謝する心、セリフに感謝という言葉がたびたび出てきます。
やはり感謝することが大切なのだと映画を通して神様が伝えてくださっているように思いました。
そして映画上映の後に皆さんと感想を述べたのですが、このような考えがあると危険なのではといわれる方がありました。
その気持ちもわかります。そういう教育を受けてきたのです。
危険・・・それは戦争とか平和とか、口にするのもためらわれるほど。
しかしもう日本が神のために戦うことがあるでしょうか。
これだけ多くの人が犠牲になって今の幸せがあるのですから・・・
山鹿素行先生の教えは奥深く、勉強する意義は大きく、ずいぶんと遠回りをして、これからの人々の幸せのためにあったのではと思いました。
忠臣蔵、なんと胸熱くなる歴史でしょうか。なぜ語り継がれているのかがようやく分かりました。
追記
この映画の脚本を作られた作家の山口翔さんは赤穂の方です。
なぜ切りつけたのか、遺恨があったというだけで多くを語らなかったのでいろんな憶測があったのですが、
遺恨とは吉良父子が後西天皇を退位に追いやる朝廷工作をしたことだと指摘したのが夫の恩師・中島剛先生でした。
中島先生の赤穂での講義から、この物語ができた事を知りました。
[…] 坂越、上郡の自転車のイベントからどうしても赤穂浪士の史跡が目に入り、夫が興味あるならと出してきてくれた赤穂浪士の映画の脚本で山鹿素行先生の教えを知りhttps://fuwari300.com/akogishi/ […]