若一神社
座敷わらしさんがいて、さらに平清盛公が建てられた神社だと知って、
平家が気になる私としては是非とも今年中に参拝したいと思った神社でした。
五条にいた夫の両親宅で、息子が白い小さな女の子を見たと言っていたこともあり
もしかしてお義母さんもお参りしていたのではと気になったのです。
御朱印帳があるとわかるのですけどね
そこで年末、思い立ってようやくお参りに。
思っていたより小さな境内。でも賑やかな感じがします。
座敷わらしコーナーがあります。可愛い絵馬。
大きな楠が大迫力。
座敷わらしさん、いるかなと思ってベンチに座っていたら、頭の上に大きないちょうの葉が落ちてきました。
金運上がる御守りに?と思いましたが、金運も欲しいけどすでに近所の神社で小さなイチョウをいただきましたし
お願いは平和にしようと受け取らずにいたら・・・違う物をいただきました。
この辺りは浅水の森といって、風向明媚な所だったそうです。
ご神水も少しいただきました。
急に思い立って勢いで来ましたが、境内のあちこちにご祈祷受付の案内があって気になるので
ご祈祷をお願いすることにしました。
お願い事は「世界平和」です。
宮司の息子さんがご祈祷くださいました。
最近は若い方がとても優しく、たくさんお参りに来られ、日本の未来も明るいと感じているとのこと。
私も若い方が倒れた人を助けたり、話をよく聴いて下さったり、優しいと感じていたので、そうですよね~と同感。
ご祈祷くださった後、私のたましいには源平の合戦で安徳天皇が亡くなって慟哭した記憶があると話をしたら
つい先日にも台湾から平家の記憶があるという方が参拝に来られたと聞いてびっくり。
同じように平家の記憶が甦っている方がいるのかと嬉しくなりました。
そして、ここに安徳天皇がお住まいになって、
障子に穴を開けてお遊びになるのを平清盛公が目を細めて見ておられたと聞いてさらにびっくり。
実はわが家のふすまはすでに黄色くなって指で開けたような穴が何ヵ所かあるのですが、
なぜかその穴が気になって張り替える気になりません。
ずいぶん前に一度上に自分で貼り重ねてあり、一番下に、次男が描いた絵が在るというのもありますが、
息子が彼女を連れてくる度に家の修繕をしているので、ふすまを変えたら凄く明るくなるのだけどなと思うのですが、実行に移せないでいました。
なんというシンクロ。私のたましいはここでなにをしてたのだろうか。
ずっと自分のたましいの記憶が、平家の記憶なのかとどうかと思っていましたが、平家なのだよと教えてくださった様に思いました。
これで迷いがなくなって腹が据わりました。
前からずっと気になっていた「平和」という言葉の意味。
「平和」という言葉が、安徳天皇と共に平家が滅亡し、居場所を失ったのですが、その悲しく悔しい思いを昇華して、和を結ぶことを表している言葉ではないかと思うのです。
千姫の事を調べていて、これほど誤解をされた姫君はいないのではと思いましたが、
平家もまた、同じように誤解をされ、語り継がれているのではないかと。
源義経が戦争協定を破り夜襲を駆けたりしたのも、平家を滅亡へと導いた原因のひとつだとありますが、
奢れる者は久しからず・・とまるで自業自得の様に語られています。
平清盛公は先見性をもって、交通の整備や経済の発展に貢献し、「非常に合理的な人だった」と宮司さんも敬愛されています。
いちょうの木がとても美しかったです。
気になる座敷わらしさん。神社の向かいに清盛公お手植えの楠があります。
どこかにいるかな。座敷わらしさんは歌がお好きらしいので「Let it be」を歌いました。
座敷わらしさんと平和を祈ります。
帰りに神社と裏のお庭でなっている柚子をいただきました。
冬至にゆず湯にしました。もの凄~く温まり、邪気が払われた感!ありがとうございました。
帰りにお義兄さん夫婦と会ったら、はい、これとお義父さんのお正月に来ていた着物を持って来て下さいました。
これまた嬉しいびっくり。
ちょうど前日に、夫とあのお義父さんの茶色の着物があったらいいのにねと話していたのです。
お義母さんが風呂敷に包んで普段の服と一緒に入れていたのでわからなかったとか。
亡くなってもなお、まだまだお義母さんのたましいを感じる京都です。