あぁ赤穂城 母の骨折
介護とは加齢や病気などで日常生活を営むことが困難である人に対して、生活面、精神面において、尊厳ある自分らしい生活が送れるように支援することです。
母の一人暮らしが厳しくなった昨年のGW。
妹と帰省中の次男と甥っ子も一緒に、82歳の母とでかけました。
行先はどこでもいいというので、赤穂の誇り、赤穂城の天守台を見に行く事に。
先に私の母の介護について少し書きますと
母は約25年前、私達と一度同居をしたことがありましたがいろいろあって、うちの近くに住んでいました。
母は本来、頑張り屋で洋服を縫うのも着るのも好きな素敵女性です。バレーボールも得意だとか。
その母が苦労もあってか、最初はいろいろと気にする性格になったと思われました。
私が会ったことも名前も知らない人の話を延々としてきます。それが私は苦痛でした。
徐々に被害妄想ではと思えるようになり、誰かが勝手に家に入ってくるなど、話が怖くなってきたので、私は会って話を聞くと全身に寒気が走るようになっていました。
性格なのか病気なのか、よくわからなかったのですが、
不眠症だと思い病院に連れて行き、二軒目の病院で統合失調症だと診断され、投薬治療でようやくあの妄想がなくなったのでした。
同時に認知症の症状もあり、時間がかかりましたがようやくレビー小体型認知症と診断されました。
統合失調症の様な症状もパーキンソン病の様な症状も認知症が原因でした。
私の兄弟姉妹は妹がひとり、その妹は94歳の舅が一緒に暮らしています。
一緒にどこかいい施設はないかと探し決めかねていましたが、いよいよ妹と母の今後の事と、なかなか行けなかった旅行の行先を決めることになったのでした。
病気の原因がわかってよかったです
まずは赤穂のピザとパスタでお腹を満たして。ミオエテンプリーナ(Mio & Tempurina)さんへ。
かの有名な赤穂岬のさくら組で修業を重ねた女性ふたりが独立してお店をされていて、
予約必須ですが地元の食材も使われ、本格的でとても美味しかったです。
食事の後は赤穂城へ。
入ると入り口に年配の男性ガイドの方が座っていて、私たちの希望に応じてガイドをするということでしたのでお願いすることに。
母が疲れない程度でとお願いしましたら、なんと母より一つ年下だそうでお元気です。
赤穂城は建物はなく、建物があったところに床だけあるような形で展示されているので、落ちたら危なく注意が必要です。
ガイドさんに山鹿素行先生の教えに感動した話をすると、
赤穂にいたのは七か月で赤穂とはほとんど関係ないと言われます。
赤穂義士たちが多感な成長期に学んだことは大いに影響があると思いますけどね。
姫路から来たと伝えると飾磨津はお好きだそうで、次のライドは飾磨津もいいなと思いました。
お庭にある池の石の向きとか、城壁が攻めにくい形をしている事などをクイズ形式の案内でしたので、時間がかかりました。
天守台を見に来たんですよと伝えたらそこには何もないと言われ、以前に行っていた光のイルミネーションの天守閣の写真を見せてくださいました。
そして近年プロジェクションマッピングでお城が再現されたそうです。
結構歩いたし、そろそろ母も疲れたのでここで終わりで結構ですというと、それではもう一つだけとほかの場所を追加され・・・
本当に見たいのは天守台です
多少の苛立ちと、まだ何も決めていないのに時間がなくなり焦っていました。
天守台の方に台の隙間があるところを息子たちは飛び越えて行きましたが、
母が真似したら危ないので案内しながら先に進みました。
見たかった赤穂城の天守台。結構高かったです。
しかし写真に収めようと母から目を離したのですね。
後ろで痛い~!!と声がして、振り向くと母が台から落ちて転んでいました。
足首あたりをおさえて痛いと言っています。あと膝も打ったかな。
最悪な出来事に、あぁなぜ赤穂城で・・・と頭を抱えました。
そこで救急車を呼べばよかったのですが、足首の捻挫かと思ったのです。
落ちた理由はジャンプしようとしたと。※ふたり座っている向かって左側のすき間
あきれてものがいえませんでした。
仕方なく息子と甥っ子でかわりばんこでおんぶして車まで連れて行きました。
だんだん痛みが増してくるようでしたが、診断はかかとの剥離骨折。
とても痛がって全く一人で歩けません。
先生、入院できますか?と聞いたところ、
これくらいの骨折では入院できませんと言われました。
ひとり暮らしなのに??
私が家に連れて帰るしかありませんでした。
母の家に布団を取りに行って、その日は母と私と息子と三人で一緒の部屋に寝ました。
こんな風に寝るのは久しぶりで楽しかったのですが、母のいびきがひどく二日だけ。
その日の夜、そういえばと思い出してテレビで録画していたドラマ・大忠臣蔵を観ました。
昭和46年の三船敏郎さんが大石内蔵助役のドラマを何気に録画していたのです。
赤穂のお侍さんが職を失い、嫁の郷へ一家で帰るシーンでしたが、お侍さんが年老いた母上をおんぶしていました。
夫が昔もこうしておんぶしていたんやねと言いました。
ドラマシーンとのシンクロに、テレビを見ていてびっくりしましたが、これで良かったのだと思いました。
幸いなことに骨折は大したことがなく、介助するとトイレにも行けました。
夫はどうかというと、積極的にお世話をしてくれています。
うちに来ていただくのが一番だと思いましたよ
夫は三男なので自分の両親のお世話をすることはほとんどなかったのです。
はじめは自分の生活が変わってしまうのを恐れていましたが、素直に受け入れている夫を見て、
神様が夫にも介護をする機会を与えてくださったのだなと思い、ハッとしました。
そうか、この介護もたましいを輝かせることができるのだと。
介護は生まれてきた人全員にその機会がありますが、昔は長子限定だったりしたんですよね。
しばらくして妹が、お姉ちゃん本当にこれでいいん?と聞いてくれました。
いいんですよ、自分の道を誤るところでした。長女の特権です。
今まで、どれだけ母に優しくできるか試されていると思っていましたが
たましいが輝くのだと思うと喜びに変わりました。
旅行にはしばらく行けなくなりましたが、
やっぱり赤穂は私に大切なことを教えてくれると思いました。
しかも母のケガは大したことなく、絶妙なタイミングでわたしの背中を押してくれました。
そして、母と同居による介護が始まったのですが、
はみがき、着替え、身の回りことから、病気や精神的なこと、
それは子育て同様生易しいものではなく、ケンカしたり、理解したりしながら、
母のたましいに接するように、そして私自身の内面にも向き合う日々を送っています。
そして介護生活が始まってわかったことですが、デイサービスやショートステイなど、子育て同様にいろいろな支援があることに感謝です。