不徹寺 たましいの答え
元禄元年(1688年)、姫路市網干区に田ステ女が創った不徹寺、尼僧庵があります。
仏教では女性差別が色濃い時代が続いていましたが、田ステ女は尼僧による尼僧庵を建てました。
またもや元禄時代!
田ステ女は「雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡」という句をわずか六歳で詠んで、女流俳人としての才を現し、俳女として名声を得ました。
夫亡き後、六人の子供を育てあげ、仏門に入り、その後京都で上流階級に俳句を教えていましたが、盤珪禅師に会い「不生の仏心」の教えを受け、心から感銘したステ女は改宗し、この網干まで来ました。
当時、改宗することも、女性が僧侶になる事も、あり得ない事だったそうですが、その事にさらに感銘を受けた二千人もの女性がこの尼僧庵に詰めかけて修行をしたと聞いて驚きました。
熱い女達のたましいで、網干が賑わっていただなんて。
現在でも元禄時代の尼僧庵が残っていて、座禅などの修行体験が出来ると知り、早速申し込んだ訳です。
現在の住職さんは松山照紀さん、「すべての女性の駆け込み寺」として、女性のために尽力し、新入社員の教育や、講演会などでご活躍中の庵主さまです。
修行体験は、草引きなどの奉仕です。七月でしたがとても涼しくて、こまめに休憩をはさんでくださいます。私の他に二人参加されていたので、ついついおしゃべりしていると注意されます。
綺麗になった庭。あまり草がなかったので裏庭も綺麗にしました。
食事は入れ子の椀が4つ重ねてあり、使い方の作法を教えていただきます。
容器を洗いに行かずに卓上で綺麗にします。箸は箸袋へ、塗りの器は布巾で包みます。
無駄な動作はひとつもなく、食事も本来なら10分と(実際は20分)短時間で大変美味しい精進料理をいただきます。
庵主さまは料理の天才!!四年物のたくあんの美味しかったこと!(感動)
食事中でしたが写真を撮ってもいいと言われて慌てて撮った写真です。
お風呂にも入って、夜は閑かに写経をしました。その後のおしゃべりが、とても面白かったです。
翌日は掃除と、いよいよ初めての座禅体験。
座禅だけでも体験できます。10人位で半分は男性でした。
江戸時代からある坐禅堂で、微動だにせず、キーンとした静けさの空に漂うような体験をします。
でも一瞬寝落ちして直ぐに少し姿勢を正したりしました。胡座はきつい方は椅子の席もありますよ。
その後は庵主さまが回ってきて、勢いよく叩いてもらうのですが、自己申告制です。合掌が叩いていただく合図です。
深く低頭して前から背中をパンパーンと左、右と叩いていただきました。
木の板で叩くので痛いですよ・・とにかく非日常体験が脳を活性化するのか、とてもすっきりします。
閑不徹 意味は徹底的に閑かである。不徹寺の名前の由来の禅語です。
不徹は「閑か」を強調している表現だそうです。
不生にして、霊明なもの。生まれなければ、滅することもない。誰にでもある、その仏心のまま暮らす。
厳しい修行の末に得られた禅の教えを優しい言葉にしてくださっていますが、完全に理解するというよりイメージです。難しいので。
たましいのあるがまま、だと思いました。
写真は不徹寺の田ステ女の法要・山門施餓鬼会での境内にたなびく短冊と茅の輪です。
法要で田ステ女が再び戻ってきて、また以前の様な賑わいをという言葉を耳にしました。
何百年も、続いている祈りなのですね。
私は自分のたましいの目的がサイクリングツアーだというところまでたどり着きましたが、まだ自分が本当は何をしたいのか答えが見つからず、神様に教えて欲しいと祈り、必死に探していました。
そこで、もしかしたら同じような体験をした方がいるかもしれないと検索してみたところ、
サイレント・コーリング:21世紀衝動(高橋佳子著)という本を見つけました。
この本を読んで、私は本当にホッとしました。やはり気のせいでは無かったのです。
私の体験したのと同じようなことが書かれています。
この本を図書館から借りていたのですが、全部読まないうちに返却期限がきました。
それが修行体験の前日でした。
ギリギリまで読みましたが、やはり読み切れなくて図書館にいくと、貸し出し延長ができたので嬉しかったです。
この本を読んで、私はようやくたましいの疼きが何だったのかがわかりました。
この本には歴史も詳しく書かれていて、先の世界戦争はまさかこんな事が、この事が戦争になるとは思わなかったことがきっかけだったと書かれています。
まさかまた何か不穏はものを感じても何もせず、誰かがやってくれると待ち続けていると気づいた時には手遅れになる。
このままでは第三次世界大戦が始まるのでは?そう思えてなりませんでした。
今の世界情勢は十分不穏といえるでしょう。
今まで私が何故だろうと思っていたことは、例えば地元のサイクリンググループでもリーダーになってくれる人がいない。誰もやらない。それでもなぜ自分がということでした。
誰かがやってくれるのではないか。そんな期待をして三年くらい待っても、誰も現れませんでした。
振り返ると私の人生において、自分がリーダーになって実力以上の事をしなければならない事が他にもありました。
今までのチャレンジは、少しずつ行動を起こすための練習だったと思えるのです。
大規模な無差別爆撃の悲惨さを伝えている姫路。
おもえば初めて地元開催したWomens100姫路という女性サイクリストのイベントのフィニッシュ地点は太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔の前でした。
その事を思い出して、本当にびっくりしました。
その時は深いところに気づいていたわけではなく、いろいろ考えた結果、距離、景色でここにしただけだったのですが、意味があったのだと思いました。
この慰霊塔の地中に突き立てた刀は不戦の誓いを表し、太平洋戦争で空爆や原爆で被災した全ての113都市の犠牲者を追悼しています。
このままなにもせずにいて、大切な人や大勢の人の命、全てを失うのではないか。
想像しただけで戦慄が走りました。
小さい事だけれどやってみよう。悪いことが起こるのはあっという間なのです。
疼きが何なのか、何をテーマにしたらよいのか、わかってよかったと心から思いました。